おーじの覚書

忘れちまった事、忘れらんねぇ事

中世古香織の辿り着いた「特別」

※本記事は響け!ユーフォニアムシリーズ 「北宇治高校吹奏楽部のホントの話」および「決意の最終楽章」のネタバレを多分に含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あすかだけじゃなくてね、全ての人間が特別なんだろうなって思うの。黄前さんにとっての麗奈ちゃんも、麗奈ちゃんにとっての黄前さんも。"誰かは誰かにとって特別なんだ"よ。だからやっぱり、あすかは私にとって特別。あすかにとって、私がそうでなくてもね」 

 

それは、これまで『響け!ユーフォニアム』が田中あすかを指して呼んでいた"特別"が意味するところとは一線を画す、あらゆる夾雑物を濾過仕切った末に残った中世古香織という一人の女が辿り着いた答えだった。 

 

 

 

「じゃ、香織はさ、うちが『特別な人間』じゃなかったら、好きじゃなくなるん?」 

夕暮れ。家路を辿る、16歳の秋。

修辞学的、と呼んでも差し支えなさそうな田中あすかの問いかけに、中世古香織は窮していた。今、この瞬間でさえこんなにも熱く脈打っているはずのあすかへの想いが、どうしても音にならない。

あすかの言う「特別じゃなくなる」とは?そも、私たちが普段何気なく田中あすかをして呼んでいる『特別』とは何だ?彼女は今、私にどんな答えを求めている?

幾つもの疑問を一瞬のうちに叩きつけられ、そのいずれをも噛み砕けなかった香織には、即座に否定することすら、安易に「そんなことないよ」と言ってしまうことすらも、酷く空を切る心地がした。

今、此処に持ち合わせる言葉はすべてがらんどうで、どれを選んでも自分の真意は伝わらず、あすかの問いを満たせないのではないか。

そんな悪寒で震えた喉と唇では「あすか、私ね、」から先を紡ぐことは叶わず、何も答えられなかった。

 答えられるはずが、なかった。

「特別ではない田中あすかなど、香織の持ち得る語彙、香織の見ている世界の可能性の中には元より、跡形もなく、塵芥ほどの存在もしないのだから。

「存在しないものを否定する」ことなど誰にもできない。これは彼女にとって悪魔の証明にも等しい、全くもって埒外の問いかけだった。

あすかの言った特別と香織があすかへ抱く特別。

同じ地平で語ることのできない二つの特別。

互いに自覚できない軋轢の末、朱に照らされながら今にも堰を切りそうに潤んだ最愛の双眸は、香織の奥にそっと影を落とし、じんわりと滲み続けるのだった。

 

時は流れ、彼女らにとって高校生活最後の年、北宇治吹奏楽部の運命はたった1人の男の到来により流転し、全国大会への切符をその手に掴む。そのさなか、奇しくも田中あすかは特別な人間ではなかった」とストーリー上の大きなターニングポイントとして声高に宣言される。(短編集の方が刊行は後だが、ここでは物語上の時系列に沿って話している。) 
私達はただの人間同士だったのだと、ただの人間同士だからこそ、支え合い、改めて同じ場所を目指そうと、北宇治の物語は転がり始める。 
そこに至って漸く、田中あすかに対して他者が抱く特別(あの日の問いと文脈を共有する特別)』『己が抱く特別』の間に生じる乖離を確かめて、香織はこの気持ちが掛け替えのない自分だけのモノなのだと知る。 

翼をもがれ、神の座から地に降りて来たあすかを見て、香織は一体どう感じたか? 

そう、物語の進行に真正面から抗うように、彼女にとって「あすかはやっぱり特別」だったのだ。 
何者でもなくなったあすかを見ても、何も変わることなく中世古香織にとって田中あすかは特別」のままだった。 

当然だ。 

中世古香織がずっと見つめ続けてきた「特別」とは何だったのか?

それは「決して弱みを見せず、統率も演奏も完璧にこなす公としての副部長、田中あすかではない。 
かつて小笠原晴香が部員を前にして言った「あすかは、特別なんかやなかった」の「特別」とも、いつか高坂麗奈がなりたいと語った「特別」ともレイヤーを違える、もっと抜き身の、熱く打たれた心鉄に徒手を伸ばすかのような、生々しくエゴイスティックなモノだ。 

「あすかという存在そのものが特別なのだから、香織にとってあすかが特別でなくなるなんてことはありえない」 
あの日、音にできず香織の中でのみ響いた言葉は、終ぞ間違ってなどいなかった。

彼女が中世古香織ではない全く別の人間に生まれ変わりでもしない限り、この大前提が崩れ去ることは絶対にないのだ。 

 

そして、いよいよ最終楽章も後編にさしかかる頃。あすかと暮らしを共にするマンションに訪ねて来た悩める現部長に対して自分自身の気持ちをもう一度確かめるように、向き合うように、彼女は冒頭の言葉を送る。 

「晴香はね、あすかは特別じゃないって言ってたけど、私、やっぱりあすかは特別なんだと思う」

「あすかだけじゃない 全ての人間が特別」 
「誰かにとって誰かは特別」 
「だからやっぱり私にとって あすかは特別。あすかにとって私がそうでなくてもね」 

響け!ユーフォニアム」は度々、持つものと持たざるもの、特別な人間とそうでない人間のコントラストを描いた物語だと語られる。 
特別でなくても良かった黄前久美子が特別になりたい高坂麗奈の内に触れて、徐々に熱を帯びていく。上手くなりたい(特別になりたい)と月に手を伸ばすようになる。 
太く通された柱を同心円状の中心として、劇中ではこれまで幾つもの対比が描かれて来た。 
しかし、ある意味でその暴威の先端に立たされつつも、久美子らより一足先に物語から"卒業"していた香織は今、想うのだ。

「全ての人間が誰かにとって特別」なのだと。 

これは、北宇治高校吹奏楽部が、あるいは響け!ユーフォニアムそのものが頁を重ねるたびに積み上げてきた『特別/特別でない』の意味を一度解体し、あの日、麗奈の涙を見た久美子」に回帰した上で、その場所から「3年の時を共に過ごした久美子と麗奈」までを地続きとして繋ぐ願いでもある。
香織の文脈における『特別』とは、至極普遍的かつ関係性の最小単位である「きみとぼく」の物語だ。 
類稀れなる楽器の才能に恵まれただとか、そこから生じる演奏技術の優劣だとか、集団を惹きつける圧倒的なカリスマ性があるだとか、そういった第三者視点で上澄みを掬い上げるような評価なんて関係ない。 
世界中の誰にとってもあり得ながら、世界中で今ここにしかない、誰かを「自分にとって特別」だと思う気持ち。
そこには他者との対比も、借り物の価値観も、冗長な脚色も介在しない。

「麗奈ちゃんは、黄前さんにとって特別?」 
そう問いかける香織は今、主観(お前)の話をしている。

かつてあすかに問いかけられた「特別」と文脈を違えながら、自身が渡し損ねた答えに連なる「他でもないお前にとってはどうなんだ?」という、部長でも、ドラムメジャーでもない裸の黄前久美子にとっての裸の高坂麗奈」の話をしている。 外界も外野も有り得ない。2人を結ぶ、2人が3年かけて紡いで来た、2人だけの物語。

でありながら、私にとってもあなたにとっても、誰にとってもあり得る普遍の物語。

それは例えば、鎧塚みぞれにとっての傘木希美であり、吉川優子にとっての中川夏紀であり、そして何より、中世古香織にとっての田中あすかであり、

そう。きっと『誰かにとって誰かは特別』なのだ。

 

 

 

「わたしさ、あすかのこと好き」

「わたし、あすかとずっと一緒にいたい。あすかの一番になりたいです」 

 

ひどく焦がれるような、あの日の想い。ずっとずっと変わることのないそれは文字となって綴られ、香織からあすかへと手渡される。 
誰かから誰かへ送られる世界で最もありふれた、世界で2つとして同じカタチのない「特別」の名前。

中世古香織の過去、現在、未来の全てを繋ぐ想いと願いの結晶が、手紙の上で煌めいていた。

 

 

 

黄前久美子が、そして北宇治高校吹奏楽部が、春の息吹に乗せてそれぞれの「終着と未来」へ足を踏み出した決意の最終楽章。 
そのステージ上で中世古香織が奏で上げたソロパートは、「響け!ユーフォニアム」を一つの線で結び綴じるに足る、彼女だからこそ成し得た「特別とは何か?」の言語化として文句なしに金色の輝きを放っていた。

それを堂々と示すように、最終楽章本編 最後の頁は「久美子にとって、高坂麗奈は特別だ。」の一文で、──中世古香織が辿り着いた「特別」の文脈の上で──締めくくられる。

 

私はそのことが本当に嬉しくて、たまらなくて、観客席から彼女に向けて惜しみない拍手を送っている。 

香織先輩、素晴らしい演奏を、ありがとう。

そして、どうか末永く、お幸せに。