おーじの覚書

忘れちまった事、忘れらんねぇ事

素敵な貴女は、今年も歳を重ねてくれている

また、事を成していないまま『今年』が逝こうとしている。

真っ黒い昼に塗り潰された生活の端に残る一握ほどの白い夜に、両手いっぱいの快楽を詰め込もうとしても足りず、溢れて落ちて、また黒のだまりへと戻っていく。

そんな暮らしを言い訳に、このブログの更新が滞っているのも喉につかえた小骨のように毎日少しずつ、私の柔い部分を刺していた。生産しないことへのコンプレックスは日に日に肥大化していく。

時間と、やる気と、もっと即物的な体力と。

足りないものは、今もずっと足りていない。

それでも、書かなければそれこそ何もなくなるので更新しなければならない。

いや、決して義務ではない。

他でもない『俺』がしたいからする...させてくれ...

ただし、ネタはないので自分の最近のツイートを拾って展開していくよ。哀しいね。

 

 

この1年間、Vtuberを追いかけすぎて人間の年齢が規則正しく加算されていくというシステムをすっかり忘れていたのだが、ツイッター喜多村英梨(31)という強靭な文字列を目にして全てを思い出した。いや、キタエリに30代って存在したのか。

というか30どころかもう31って...いつアイスクリームの話にすり替わった...?

希釈されていないドロドロとした現実の原液、現液をぶっかけられてしまい、思考が鈍化する。

私のベスト・キタエリ・キャラクターは今でもとらドラ!の亜美ちゃんのままで、ベスト・キタエリ・ソングである瀬戸の花嫁 不知火明乃のキャラクターソング「らせん」は今でも聴くし、なんなら弾いている。

私は、20代前半の喜多村英梨を胸に抱いたまま、2018年まで寝ぼけていたのか。

2007年に20歳を迎えた人間は、放っておけば今年31歳を迎える。当然だ。

もちろん、現実には放っておかれることなどなく彼女が鮮烈に業界で生き抜いて来たことは重々承知している。掛け値なしに"世代"を支えた輝く星々の一つだ。

あくまで私が観測できていなかった、呆けていただけに過ぎない。

い、いやだってVtuberは誕生日配信してお祝いされても大概歳重ねないから忘れてたんだもん...人間、まだそこ...?びっくりした...

 

しかし、そんな驚きと同じくらい「そうだよなぁ」と安堵する自分もいた。

四捨五入すれば30、いわゆるアラサーの域に達すると世界中にはこんなにも歳下がいるのかと、若者の活躍が目につくようになる。特に今は片手で数タップもすれば世界に繋がれる時代だ。

滝のように更新されるタイムラインの中で才能を目の当たりにし「は?若.. マジ?」

となることのなんと多いことか。

ガキの頃からなんとなく思っていた「すごい人は、皆歳上」という感覚をインターネットに悉く否定されていく。もう、今は「俺が歳上の番」

このまま「俺だけ」が歳食って、「俺だけ」が老いて、場所を譲っていく。

最近はそんなことを考えてツイッターを閉じる夜もあった。

でも、それでも。そんな世界で今、喜多村英梨は31歳なのだ。31歳になってくれていたのだ。

もっと言えば井口裕香だって(30)だし、佐藤利奈(37)だし、能登麻美子(38)だ。

特定女性声優のフルネームを並べたて、あまつさえその後ろにカッコで閉じられた数字を付けて語ることの怖さを今リアルタイムに味わっており漏らしそうだが、あと少しだけ頑張って書いていく。

そう、私は後ろから迫るハイビームにばかりチラチラと気を取られ、ずっと見てきたはずのテールランプの輝きを見失っていたのだ。

あの頃、17歳の少年の前を歩いてくれていた声優さん達は、どれだけ時を経ても、私が界隈に疎くなって久しい今でさえ、変わらずに先を歩き続けてくれている。

私が一つ重ねれば、貴女も一つ重ねて。

決して追いつくことも、追い越すこともない鬼ごっこ。そうだよな。お姉ちゃんだもんね...

大好きな人達が先を歩いて、笑っていてくれているという感覚。

私も貴女と同い年になるその日まで、なんとか笑っていたい。やっていきたい。そう思えた。

できることならずっとずっと、この手を引いて導いてほしい。人生の姉として...

 

 

 

 

酒を飲めばたまにこんなツイートをしている。

しかし、井口裕香(21)は既に井口裕香(30)だし、佐藤利奈(28)は佐藤利奈(37)であり、

おーじ(17)はおーじ(26)なのだ。

あの頃には戻れない。もうちゃんと9年分、誰にとっても平等に時は流れた。

でも、なんてことはないんだよ。変わったことと言えば、私がワインを開けられるようになったことくらいだ。

人生の先をゆく、今年も一つ歳を重ねてくれる素敵な貴女に、乾杯。