おーじの覚書

忘れちまった事、忘れらんねぇ事

俺は、儚げな少女に消えられたい~完結編~

あれほど恋焦がれた平成最後の8月も、未だ照りつけるその残り火を最期に、ゆるやかに幕を閉じようとしている。

今年は旅行にも2回ほど行けた。三重と大阪だ。

例年から比べると大きな進歩であり、社会人3年目にして夏季休暇の使い方も多少小慣れてきたのかもしれない。

個人的にこの夏で一番おかしかった出来事は、伊勢神宮にお参りに行った際に、私がしきりに「あのパオ~~~~プアァ~~~~みたいな笛?はいつ聴こえてくるの?」と周囲に訪ねていたことだ。

当然みんな「?????」みたいな顔をしていたわけだが、私は追い打ち(己のアホさに)をかけるように

「知らんか?あのBASARAの毛利のステージで鳴ってたやつ。」

などとのたまってしまった。これがワードウルフなら一発で吊られていただろう。

最も良くなかったのは、そこまで言っても誰もこの違和感の正体にハッキリとツッコんではくれなかったことだ。お前ら、もっと勉強してくれよな。

 そのせいで、私はお伊勢参りを完遂するまで一人でずっと「パオ~~~は?」「あの海の…赤い鳥居はどこ?」「プァ~~~~」などと期待し、その全てが登場せず勝手に肩透かしを食らった気になっていた。不敬なお参りにも程がある。

 それでも旅行自体は楽しかったので、特に気にもせず満足感と赤福をちゃっかり携えて帰路についた。

新幹線で一人になり、つかの間の寂しさに浸りつつ旅の思い出を振り返っている途中、ふと思い至って全てが繋がり、思わず零れた。

 「いやそれ厳島神社だわ(パォ~~~~)(※正解の音)」

 

全くの余談だが、伊勢神宮でお参りした帰りに、「人差し指と中指でぎこちなく手を繋ぎ、触れては離れる薬指」といったテイストの女の子二人とすれ違った。無神論者を卒業した。

伊勢神宮、確実に力ありますね。(私は厳島神社にお参りした気分でいたので厳島神社の力も幾ばくか含まれている。)

 

 

閑話休題

ひと夏を越え、日常風景で変わったことが少しだけあった。

会社帰りのあのサークルKがいつのまにか、やっぱりファミマになっていた。

円卓赤橙の戦士は斃れ、家族(ファミリー)になったのだ。

今は気兼ねなくファミチキを頼んでいる。長いものに巻かれよ。うまいし。

 つまりだ。

特にこれといって何も変わっていないのである。

ファミチキ先輩の介入程度では、私の人生の起伏までは変えられないらしい。

すると、例によって今年も望んでしまう。

「儚げな美少女に、ある日突然消えられたい」

これである。

しかし、今年の私は例年とは一味違う。

より鋭い視点、切り口からこの願望を見つめているのだ。

「儚げな美少女に、突然消えられたい」という性癖をこじらせてはや幾星霜。

遂に、この性癖の致命的な欠陥を抽出することに成功した。

それこそが

「消えてもらうためには、まず現れてもらう必要がある」

という問題である。

人間も、生まれなければ、死ぬことはできない。

儚げな少女も同じだ。浮世離れした雪の肌に薄い唇を添えて、この世に存在していただかなければ、消えてもらうことは叶わない。

「消えられてぇ…消えられて吐くほど泣きてぇ…」という醜い願望が先走りすぎて、最初のステップを飛ばしてしまっていたのだ。

しかし、どう頭を捻っても、理想の儚げな美少女を目の前に現界させる術は思いつかない。

問題抽出を終え、視界を覆っていた霧が晴れてようやく、この性癖の難しさのディテールを把握してしまった。

無理じゃん。いないもん、儚げな美少女。いすぎるもん、存在感のあるブス

 

「詰み」の二文字がこの身に重くのしかかる。

だが。いや、やはり、というべきか。夏の魔物は思考を狂わせ、増長させる。

脳内の情報処理に負荷をかけ、オーバードライブ。正答(こたえ)を掴んだ。

今まで少女を現界させるというファーストステップを飛ばして「消えられたい」というセカンドステップ的欲望を抱いていたのだから、今度は私自身がステップを飛ばして「そこ」に上がればよいのだ。並び立ち、追い抜けばよいのだ。

「悪ぃけど俺…””次””のステージに上がらせてもらうよ」

 

 

 

 

 

彼女が消えて、数日がたった。

いや、それは本当に彼女だったのか?

それどころか人であったのかすら、自信がなくなっていた。

ひと夏の間、涼しげで、儚げで、それでいて暖かい何かが傍らにいたような気がする。

気がする、だけ。記憶に靄がかかっている。まるで他人事のような、物語を読み聞かされていたような、そんな感覚。

 今でも。

油断すると、コンビニで2人分のおにぎりを買ってしまう。

洗面台の歯ブラシは、知らないうちに2本目が卸されていた。

帰宅して家の玄関を開けた時、並んだ靴の数がやけに寂しく感じる。

生活の中の意識の外で、形のない面影が顔を出す。

「頭おかしいよな、こんなの」

苦笑しつつも、別段怖いという感情はなかった。

無意識下に残る、顔も声も思い出せない誰かの名残は、心地よくて、とても柔らかで。

1日、1日、確実にそれにまつわる記憶は薄れていく。

きっとこのままいけば、秋の足音を待たずに全て消えてなくなるだろう。

夏の恋。その何もかもを洗い流す夕立は、もう既に、ぽつりぽつりと降り始めている。

 

 

 

 

これが、私の辿り着いた答え。儚げな少女を追い越し、次のステージへと至った男の姿。

「俺自身が、儚げな少女に消えられた後の世界で暮らす記憶を失った男になればいい」

 

少女の出現、それすなわち起承転結のスタートである"起こり"。

そこから先に進めずに足踏みしていたのが間違いだったのだ。

時を跳躍。筆は走り、物語の針が動き出す。私は自らの視点を変えることで、力尽くで"結び"へと至った。

完全なる上位存在。無欠の論理の上に仁王立ち。2018年の武蔵坊弁慶は俺でキマリ。

8月30日現在、私に儚げな少女とのひと夏の記憶はまるでない。

仕方がない。全て消えてしまったのだから。ここはもう、終わってしまった世界なのだ。

夏の思い出まるごと全部、彼女が一緒に連れて行ってしまったから。

私にも、他の誰の記憶にも、その少女がいた風景は残っていない。

無の証明は、できない故に。

10秒前、悪魔が世界を創ったことを否定できない故に。

誰の記憶にも残らずに消えた儚げな少女がいたことを、誰も否定することはできないのだ。

「儚げな美少女に、消えられたい」願望、ここに一つの終着を見た。

平成に、宿題を残さなくて本当に良かった。ありがとう。

今日も、なぜかはわからないけれど、いつものファミマで2人分のファミチキを買って帰ろう。

たった独りの、晩夏の夕餉。茜色のどこかで鳴いたひぐらしが、食卓にひとつまみの寂しさを添えていた。