おーじの覚書

忘れちまった事、忘れらんねぇ事

最近モンハンしかしてない

最近、モンハンばかりしている。

このブログでは普段プレイしているゲームのことなどは極力書かないのだが、あまりにもモンハンばかりしていたのでそれ以外に書くことがなくなってしまった。

ネタの枯渇という大敵に半強制的に書かされている格好だ。

 

まず、ストレートな感想としてこのゲーム、楽しい。

睡眠時間、ソーシャルゲーム(FGO)、なんだかボーっと動画を見ている時間、などなど。

限られた平日の自由時間、モンハンの為に席を譲って消えた彼らに敬意と弔いを送りたい。

楽しい時間は、また別の楽しい時間によって取って代わられたのだ。

 

しかし、である。

しかし、私が初めにMHWのPVを見て想像した「楽しい」と今毎晩のように享受している「楽しい」は結局のところ、種類の違う体験だったのだな、というのが今回の話。

 

モンスターハンターワールド。間違いなく、歴代でも最高にクールなハンティングアクション体験の一つだと思う。(こういう雰囲気の海外レビューサイトの翻訳、大好き)

 

私はMHWが発表された時、その映像から伝わってくる「狩場の生命力」めいたものにわくわくした。

色とりどりで高低差を孕んだステージ、キュートな環境生物を下地に、生きたモンスター達が手ずから積み上げる自然界のヒエラルキー。従来よりも物語性に重きをおいたゲーム進行とそれを飾る活き活きとしたキャラクター。そのどれもがモンスターハンターを「ただのゲームプレイ」から「感動体験」へと昇華してくれるパワーを感じた。

早くこの世界観に頭までどっぷり浸かりたいと、そう思った。

 

そして、実際発売されたMHWは、正しくそのパワーを内包していた素晴らしいゲームだったのである。全世界出荷本数600万本突破、おめでとうございます。

 

問題があったのは私のプレイスタイルの方だった。

基本的に、マルチプレイしかしないのだ。通話しながらしかプレイしないのだ。

人が釣れないならばアケコンを持ち出してしまう。

一人だと寂しくて、モニターに向かって据え置きのゲームができない。

そんなウサギの化身たる私に、MHWの世界観を味わうという時間の使い方、余裕はなかったのである。

100時間の狩猟生活の果て、私の中に最も色濃く残っているプレイフィールは、美麗な映像でも勇壮なBGMでもない。

オタクの笑い声と叫び声である。

オタクはうるさければ口も悪い。

いくら高級耳栓でも、オタクの咆哮を防いではくれない。

濃密な狩場の雰囲気も、巨大なモンスターの脅威も、

「はぁああああああ?!」「は?」

の二つにかき消されていく。

オタクの鳴き声木霊する夜は、今日もそうして更けていく。

私が期待に胸ふくらませていた感動体験、こんなはずでは。

 

と嘆きながらも、結局私が今享受している「楽しい」はゲームの中身そのものではなく、まさしくこっちの類の「楽しい」なのだ。

「学校から帰って来て友達と遊ぶの、死ぬほど楽しくね?」という文脈に連なる、呆れるほど普遍的なエッセンスだ。

対戦型の対人ゲームしか続かなくなってしまった私が、AIで管理されたモンスターと飽きずに戦い続けることができるのは傍らにオタク(友達)がいるからに他ならない。

ただし、繰り返しの協力プレイが楽しいことは間違いなくMHWゲームデザインの妙なので、そこは誤解しないようにしたい。モンハン最高。

一緒にプレイしてくれる人がいなければ秒で珠掘るのやめてます。

 

結局、気の置けない最高の仲間と卓を囲めるのなら、卓上に乗った料理は最高級フランス料理のフルコースでもマックのポテトMの食いかけでも何でもいいのかもしれないな、と昔からずっと思っていることを改めて思い知らされた一ヶ月だった。

 

余談だが、去年愛知に遊びに行ったとき、男数人で夜中に七並べをしてゲラゲラ笑っていたので、もう本当に何でもいいところまで来ていたんだなと今書いていて思い出した。

さらに、七並べの後はお泊り界のスタンダードギグである「下ネタしりとり」をやったのだが、「ア○ル」で詰まって

ルーモス、光よ

と続けたところがピークだった。

「え、ハリーポッターもありなの?」ではない。