おーじの覚書

忘れちまった事、忘れらんねぇ事

俺は今でも藤原基央に恋をしている

中学二年生、14歳からこちら。

私は、ずっと恋をしている。

藤原基央に、恋をしている。

初めは盲目だった。彼の発する全てを肯定したし、彼を害する者あらば、覚えたての活字の剣で払おうとした。

私という人間の真ん中に伸びた樹は、藤原基央の音で根を張り、藤原基央の言葉で枝を伸ばし、葉と花弁を付けた。きっと、その頃の私の価値観は彼の借り物だった。

高校生になると、その延長線上でギターを携え、バンドを組んだ。好きなモノに近づきたくて、模倣した。

16歳の年、初めてライブハウスでコピーバンドだったがステージに立った。

田舎のライブハウスの小さな企画ではあったが、今でも鮮明に情景を覚えている。

黒い壁にベタベタに貼られたステッカー、バックステージパス。スゲェ髪色のお兄さんお姉さん、光に照らされ揺れるスモーク。その全部が、文化祭の手作りステージとは一線を画していた。

なぜか少しも悪いことをしていないのに「アタシ、不良になっちゃう!」と内心ちょっとだけビビっていたのは今だから笑って言えることで、当時はその雰囲気に呑まれないよう、必死で背伸びをしながら、世界中の誰にも舐められたくない思いでステージに立っていた。

その時演奏したのは、アジカンN.G.S、NIRVANASmells Like Teen Spirit、そしてBUMP OF CHICKENガラスのブルース

きっとこの先も自分はこうしてBUMPを聴いて、演奏して、藤原基央の音楽によりそって生きていくのかな、となんとなく思っていた。

しかし、女心(いや)と秋の空とはよく言ったもので、その後にやってきたのは長い長い倦怠期だった。

「フジ、丸くなったね」

彼の話になると、口癖のようにそう毒づいた。

達観したフリで大人になった気分に浸った。その頃BUMPを聴き始めた人達を「今かよ」と蔑んでさえいた。かつて、自らが来た道を往くキャラバンを嗤った。

どこに出しても恥ずかしい、額縁に入れて飾りたい高2病の到来。

趣向も70~80年代のHR/HMに傾倒していき、日本の若手バンド自体から遠ざかっていった。ロキノン、という言葉も良くない意味で吐いていた記憶がある。

自分がヘビメタって言われたらどうせ怒るのに、なんとも理不尽でめんどくさい男である。

ここで話は変わるが、私の理想の女性のタイプは「別れた恋人の悪口を友人に過度にしない人」である。

たとえ既に過ぎ去った時間であっても一度愛した人、大げさに言えば一時の半身だったものを貶めることは自らの価値観、審美眼を貶めること、軽んじることに相違ないからだ。思い出は思い出として大切にして欲しい、と思う。人それぞれ事情はあるのだが。

ちなみに、これは能登麻美子の受け売りである。ひらがな3つでおーじなのだ。

つまり、何が言いたいかというと、その時の自分は、今の私が嫌いな「好きだったものの悪口を周りに言いふらす最低野郎」だったということだ。

麻美子、ごめん。

だが、人は変われる生き物でもあるのだ。転機は直に訪れる。NO REASON。

大学生となった。部活という括りでバンド自体は続けていた。でもやっぱり、BUMPは全然聴いていなかった。

コピーするのもメタルが多め、曲を作ってみても、どれだけかっこいいリフを書けるかに熱中した。

そんな折、学内のライブでBUMPのコピーバンドを見る機会があった。

新旧織り交ぜた良い選曲、そして何よりも「あぁ~~こいつ藤原好きなんだろうなァ~~」と一発でわかる、肩から下げた黄色のレスポールスペシャルと少し鼻にかかった歌い方に頬が緩んだ。

しかし、それとほぼ同時に飛来した感情はまさかの嫉妬、悔しさ、情けなさであった。

「お、おおおお、俺だってフジくん好きだし!」

「いやBUMPだったら俺の方が昔っから…」

「お前、ぶっちゃけ藤原基央のこと、どれぐらい好きなの?」

「チャマの実家、行ったことあんのか?」

「どうして俺、BUMP聴かなくなっちまったんだろうな…」

 

それは、あるいは焦燥感だったのかもしれない。

自分の真ん中にあったはずの花の名を、こんなにも長い時間忘れていた、こんなにも水をやるのを忘れていた。

BUMP OF CHICKENを、藤原基央を否定することは、もはや自分の半生を否定することと変わりないレベルのものになってしまっていたというのに。

自分の恋心に嘘を吐くことほど、哀しいことはないというのに。

 

その日の夜、久しぶりにFLAME VEINを聴いた。

決して良いとは言えない録音環境、今よりもずっと拙い演奏、しかし、若い力と真に迫る熱量が閉じ込められた無敵の一枚。涙が出た。心臓に鋭いナイフが突き刺さる。

中学生の頃より、よっぽど視野を広げて音楽を聴いている。よっぽど上手くギターを弾けているはずなのに。

よっぽどかしこく、生きている、はずなのに。

他のバンドを聴いた時とは違う感情が溢れて止まらない。

こんな想い、他にはない。痛感した。

私の音楽の原体験はBUMP OF CHICKENで、藤原基央の歌声で、決してそこに嘘をついてはいけないものだったのだ。

 

 

 

社会人になって、今。

私はまだ、虹を作っては手を伸ばし続けている。

名前を思い出したその白い花は、今も私の中で深く根を張って、力強く揺れている。

 

最近は昔に戻ったように、BUMPを本当によく聴くようになった。

やはり昔の曲が大好きだが、新しい曲には、キャリアを積み重ねた今でしか紡げない音もたくさんあって、全部愛してやりたい。彼らの足跡を数えて、生きていきたい。

「お茶の間でせんべい齧りながらライブを見るな」って尖ってたあの頃の、大言壮語を一緒に懐かしみたい。

クリスマスソングは作らないとか言ってたのに結局作ったのも笑って許してあげたい。

ベストアルバムは出さないって言ってたのに出したのも、大人になったねって褒めてあげたい。

ライブで昔の曲を演ると、一瞬であの頃に戻れるのを「かっこいいよ」って手を叩いて泣きたい。

そういったあれやこれ、難しいこと全部抜きにして、盲目になってしまいたい。

 

なぜなら、俺は今でも、藤原基央に恋をしているのだから。