少女と王の話をするとしよう/FGO最終章感想(ネタバレあり)
数々の感想を読んでいたら我慢できなかった。
ので、私もFate/Grand Orderの第一部を終えての感想を書き殴る。
長くは語らないし、深い考察もない。思ったことをストレートに書く。
これはもう絶対の自信を持って言い切ってしまうが、
Fate/Grand Order 第一部はマシュ・キリエライトとロマニ・アーキマンの物語だった。
この二人を通して、生きることの意味を問いかける物語だった。
マシュ・キリエライトという無色透明だった少女が色彩を得る為の旅路。
それが、この人理修復の物語が持つ一つの大きな主題だと感じた。
これは客観的に見て本当に月並みな感想だと思う。
だって、皆そう感じたはずなのだから。
FGOをクリアしたほぼ全ての人が「これはマシュの成長と変化の物語だったなぁ」という感想を抱くはずで、私はこれが単純にすごいことだと思うのである。
つまり、奈須きのこが描きたかった主題、伝えたかった想いはほぼ完ぺきにユーザーに伝わっているということだ。
これはまさにシナリオライターの面目躍如ではないか。
特異点Fから始まり、そして冠位時間神殿まで。伝えたいことが全くブレていない。
数々の味方、数々の敵、その全てとの出会い、救ってきた人理の全て、そしてなによりも主人公との触れ合いが色となって、マシュ・キリエライトという空っぽだった人間を満たしたのだ。全ての試練は、この少女が愛と強さを知る為にあった。
物語を経る度に、彼女はどんどん感情豊かに、そして確かに強くなっていく。
その過程をこの1年半、プレーヤーは肌で感じてきたはずだ。
また、ただのOPという枠に囚われず、もはやマシュというキャラクターのアンセムと言っていい楽曲「色彩」も最後まで物語を引っ張った千両役者だ。
ラスボスでOPのオーケストラアレンジが流れて気持ちが高ぶらない者など、この世のどこにも存在しない。
そして、ロマニ。
ロマニ・アーキマンの話をしなければならない。
自分自身の最後すらも悟りながら、彼は主人公とマシュに何を伝えようとしたのだろうか。
全てが終わった後で彼の台詞やマシュへの眼差しを思い出すと感情が揺れて揺れてたまらない。
彼はいつかマシュにこう言った。
「意味を持たないまま、人間は産まれ、そして寿命を迎える。」
「そうして終わった時にようやく、その生命がどういったものだったのか、という意味が産まれる。」
「これを人生というんだよ、マシュ。」
「僕らは意味の為に生きるんじゃない。生きたことに意味を見出す為に生きているんだ。」
これはこのゲームの中で本当に、本当に大切な言葉だと思う。
ロマニは、短い人生が確約されていたマシュに決して後悔して欲しくなかったのだ。
人生というものの本当の価値はどこにあるのか。
誰よりも人であることを願った彼の王は、薄命の少女にこそ知っておいて欲しかったのだ。
これは、英霊の人生を扱うFateという作品全体のテーマと言ってもいい。
奈須きのこが半生を賭して描きたいものの一つではなかろうか。
士郎にも、切嗣にも、この言葉を送りたい。
やはり、これはきのこが描く、fateの系譜に連なる正統な物語なのだ、と心震えた。
そして最終決戦、人間の生命の不完全さ、無意味さを宣下するゲーティアに対して、7つの特異点を越え、様々な英霊の想い、願い、生き様を受け取っていまや黄金の色彩を放つ少女はこう言うのだ。
「確かに、死が約束されている以上、生存は無意味です。」
「わたしは貴方の主張を否定する事はできません。」
「……でも。」
「人生は、生きているうちに価値の出るものではないのです。」
「死のない世界。終わりのない世界には悲しみもないのでしょう。」
「でも、それは違うのです。」
「永遠に生きられるとしても、わたしは永遠なんて欲しくない。」
「私が見ている世界は、今は、ここにあるのです。」
「……たとえ、わたしの命が、瞬きの後に終わるとしても。」
「それでもわたしは、一秒でも長く、この未来を視ていたいのです。」
ボロボロ泣いた。
「あぁ、良かった、繋がった。」と思った。ロマニの想いをマシュは確かに受け取っている。
この旅路で、誰よりも人の人生を見てきた少女の言葉には、数多の英霊の人生とともにロマニ・アーキマンの人生も一緒に乗っていた。こんなに嬉しいことはない。
「終わった時にようやく、その生命がどういったものだったのか、という意味が産まれる。これを人生というんだよ。」
男は少女にそう伝え、
「人生は、生きているうちに価値の出るものではないのです。」
少女は受け取り、そう叫んだ。
今まさに、終わりを迎えた一人の男の人生に、私たちは途方もない浪漫を感じている。
そして、その人生(おもい)を受け取った少女は青空を見上げ、また一歩、新たなる未来へ向かってその足を踏み出すのである。