おーじの覚書

忘れちまった事、忘れらんねぇ事

大学で苦労した話とこぼれ話

大学3年の時。

機械系の学科にいた私は「機械設計製図」という授業を履修していた。

この授業は必修科目で、単位を落とす=留年がほぼ確定だったこともあり、当時は寝ても覚めても製図のことを考えているような日々を送っていた。

他の授業の出席を犠牲にしてでも製図室に籠っていたし、夜遅くまでウンウン唸りながら図面とにらめっこしていることも珍しくなかった。

私の小さな世界は、完全に製図を中心に回っていたと言っていい。

きっとこの時期は息抜きに格ゲー勢と飲み食いをしても製図が苦しいとばかりこぼしていたと思う。

大学の全てを既に終えている今の自分に、卒論と製図どっちが辛かったか?と問うてみても、正直製図の方が辛かったと答えるだろう。

製図と卒論。その2つで、最も大きかった苦と楽の分水嶺は、評価して点数を付けてくれる人間の違いだった。

卒論を担当してくれた研究室の教授にはとても感謝している。

正直夏ごろまで実験に本腰を入れていなかった不出来な自分にも最後まで熱心にアドバイスをくれた。

引き継ぎではなく新しく立ち上げた研究だったこともあり、教授ですら手探りの実験が多かったが、私の論文や考察に対する評価はブレることなくいつ何時でも正統に評価してくれた。決して甘いというわけではなく、根拠が曖昧ならばシビアに指摘してくれるし、逆に良く書けているならばすぐにOKサインを出してくれた。

 

一方、製図の担当だった先生はとにかく評価基準がブレる人だった。

極端に言えば、全く同じ出来、瓜二つの図面が二枚あったとして、それを時間を空けて一つずつ見せたら、片方は合格で片方は不合格で修正箇所を指摘される、といった具合である。

この原因は先生の人間的問題だけでなく、一応設けてある図面の評価基準にもあった。

「仕上がりの速さ」「図面としての完成度」の2つだ。

こう聞くと真っ当だが、「速さ」を満たした図面はそこで点数を稼げているので、いくらか内容が雑でも大目に見られている節があった。

逆に「遅い」図面はそこで得られる点数がないので「丁寧さ、完成度」で稼がなくてはならない。

その為に、遅くなればなるほど先生もやたら細かい箇所まで指摘してくる。

そこで「速く」上がった図面との点数の帳尻を合わせてくるのだ。

先生としては遅い人にも点数を上げたいという思いがあったのかもしれない。

が、この評価基準、かなりの泥沼だった。

「速く」あがった図面の完成度が本当に酷い時があるのだ。

書かれていないと図面として機能しないような記号が平気で抜け落ちているにもかかわらず、そのまま合格点となってしまうことも多かった。

 

この状況は教室全体に丁寧に時間をかけた方が圧倒的に損であるという共通認識をもたらした。

結論、製図はRTAとなった。速さこそ正義なのだ。

しかし、それでも速さに関わらず、図面を見せるタイミングで評価は謎のバラつきを見せ、確実を掴む方法はついに最後まで無かったと思う。

明確な正否が無いものを人間が評価することの難しさや曖昧さ、を痛感した。

 

夜の製図室では

「俺、そろそろ図面見せて来るわ」

「いや先生食後の一服した後の方が評価甘いから少し待った方がいいよ」

「リアル乱数調整やめろ」

 

のような会話が飛び交っていたし、もはや最後は製図の中身よりも、先生の機嫌のいいタイミングを見極め、ハキハキと元気に、そして礼儀正しく図面を見せに行く、というのが主題の謎の授業と化していた。

それでも、私は「これはこれで、社会に出たら絶対に役に立つ部分だよなぁ」と思っていたし、友人も皆割り切って望んでいた。

これは持論に過ぎないが、人生は気を抜いて過ごしていても何とかなる場面も多いが、その中でも本腰を入れて越えなければならない試練が何度かやってくる。シメるところはシメる、という奴だ。

製図はそのうちの一つだったのだと思う。漏れなく良い経験になった、はずである。

 

ここからは余談。

そんな大変だった機械設計製図だが、一度だけ大学の授業の中では一番笑った事件があった。

 

この話の主人公「A君」は教室の一番前、先生の机の目の前で図面を書いていた。

誰よりも先生に近い位置だ。息使いまで聞こえるか、という特等席。

 

そしてだ。

A君には致命的な弱点があった。

「独り言がデカい」

私も一度、テストで隣同士になった時に開始二分で「わからないよぉ」と隣から聞こえてきた時は笑いをこらえながらとてもイライラした。

「正気ですか?」と脳内のケンコバが怪訝な顔で怒っていた。

 そんな、彼の「独り言のデカさ」「先生との席の近さ」が悲劇のカタルシスを産んでしまったのである。

 

先生に図面のダメ出しをされ、自分の席に戻るA君。戻る、と言ってもそれに要する歩数はわずか3歩といったぐらいだ。それだけ近い。

 

にも関わらず、何を思ったのかA君は席に座った途端こう漏らした。

 

「はぁ、めんどくせぇなあ」

 

断っておくがA君は決して不良とかそういう類いの人間ではない。

ただのオタクである。ただ、独り言のデカい厄介なオタクである。

 

もちろん、そのデカい独り言は秒速340mの速度で目の前にいる先生の鼓膜をクリアに震わせる。

 

「おい今なんて言った」

当然の結果すぎて呆れてしまう。

教室の空気が凍りついたのを覚えている。何事かと皆が一斉に先生を見た。

 

「やる気がないなら帰っていいぞ」

 

大学生にもなってこんな手垢の付きまくった台詞を聞く機会が来ようとは。

小学生の時、少年野球で監督にこう言われて本当に帰ったH君の懐かしい顔がふと浮かんだ。

 

「面倒臭いんだろ?帰れよ」

静かなる怒声。

 

対して、

「やる気はあります!!!!」

A君が怒鳴った。いやなんでお前がキレるんだ。

「いや面倒くさいって言ったじゃねえか!!」

先生も怒鳴る!そして私は吹き出す。

いくらなんでも正論すぎるだろ。

 

何だこれは?と思った。惨状には違いないのだが、シュールすぎて完全にツボに入ってしまっていた。あまりに正しいことに言い負かされているやり取りを見ると人は笑ってしまうらしい。

 

自ら「やる気ない」と告白した臨界点突破オタクとそれを「やる気ないなら帰れ」と糾弾する正論先生。これほど勝敗が付いてしまっている戦いなどあっていいのだろうか。

もはや戦いですらない気がする。

 

その問答は永久パターンのようにしばらく続いた。

A君も途中から「やらせてください!お願いします!!」などとプロジェクトを任せて欲しい新入社員のような雰囲気を醸し出していたが、スタートは自分の「めんどくせえ」だからひとつもフレッシュではなかった。

先生も普段の図面の評価はブレても、この問答では一切の揺らぎを許さなかった。

 

そして衝撃の結末。

最終的にこの輪廻は問答では抜け出せないと先生は悟ったのか、A君の図面をその手から取り上げ、ビリビリに破いてしまった。このパワープレイには教室も騒然だった。

そして、

「ああああああああああああああ!!!」

A君の断末魔だ。

空想上の生き物だと思っていた膝から崩れ落ちて泣き叫ぶ人間をこの目で見てしまった。

しかし全く同情できない。君は「めんどくせえなあ」と先生の目の前で言ったのだ。

そこから始まる顛末の収拾は、落とし前は自らの手で付けなくてはならない。

結局、そのまま製図の単位を落としたA君は留年した。

全く身から出た錆とはこのことである。

この話は今でも同期の間で語り草であることは言うまでもない。

反面教師とするならば、口は災いの元といったところか。なんだか簡素だ。

 

こうして苦労や思い出の詰まった製図の授業だが、私は無事にその単位を取得できた。

無理矢理にまとめるが、人生のどんな試練も腰を据えて臨めば必ず乗り越えられるのだ。皆さんもそのことを忘れないでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、普通に他の単位が足りずに俺は留年した。