私が影響を受けた一文
筆を執ろうとする時。
よいネタはないかと記憶の海を泳ぐ時。
どうしても学生の頃の話題が多くなってしまう。
当然だ。この世に生を受けてからこちら、ほとんどの時間は学生として過ごしていたのだから。
学生でなかったのはオムツをしていた時とオムツが取れてからの数年と去年から今日までの僅かな時間だろうか。
よって、これからも何かと「小学生の時に」だとか「高校の部活で」といった切り口で数年前の物語が幕を開けることは少なくないと思うが、精一杯、当時の青臭さとノスタルジーを筆に載せるつもりで努力するので、どうか今は平にご容赦いただきたい。
現在、学生の方はこのブログの存在自体を反面教師にして「有効な時間の使い方」などを今一度考えてみるのも面白いかもしれない。まだ間に合う。
また、私もいつかはステイサムばりの人生経験とハードボイルドを積み重ねてそれをブログにできたらと思っているので、その時を気長に待っていて欲しい。
前置きが長くなった。
何が言いたいかといえばつまりだ。
今回も中学生の時の話をするから先に謝っておくか、とそういうわけなのである。
こうして今この時ように、文字を書くことは好きだ。
自分にインプットされた話題、知識、内面、その引き出しとどこまで向かい合えるか、そしてそれをアウトプットできるか。
静かに、ただ静かにそれが心地良い、そして面白い。
だが、ここで少し立ち止まって考え込んでみた。
はて、こうして自然と文字にアウトプットできるようになった下地、バックボーンはどこだっただろうか。自分の文の「ふるさと」はどこにあっただろうか。
小説?
恥ずかしながら、影響を受けたと積極的に言えるような作品、作者には思い至らない。
これについては自らの浅学を呪うばかりだが、ないものはない。正直言って辛い。
ではゲームと漫画か?
これは大いにありそうだが、きっと様々な作品が混然一体となって私の中に渦巻いている為、その中心などを探し求めるのはなかなかに重労働だろう。それはまた別の機会に。
こうして自分の文章の在り処を、どこかどこかと探しているうちに、一つの記憶の扉の前へと辿り着いた。
扉には「ちゅうがくにねんせい」という表札が掲げられていた。
そうだったのだ。私は中学二年生の時、人生の中で一度だけ明確に、他人の文章、その一文に雷に打たれたような衝撃を受けたことがあったのだった。
それを思い出した。思い出してしまった。
先ほど、影響を受けたのは小説ではないと言ったが、ある意味それは小説だった。
ただ著者が極めて特殊だった。
同級生の、同じクラスの女子だったのだ。
つまり、当時の自分と同じ中学二年生の女子の文章というわけである。
今までの人生で、影響を受けた文豪の名も上げられぬ私が、唯一記憶に残るほど衝撃を受けた文章を繰り出したのが14才のいたいけな少女だったとは。
圧倒的な青春物語の始まりを感じざるをえない。
エイトビートに乗った、きらびやかなテレキャスターの音色すら聴こえる。
エンディングはピアノが良いか。
だがやはりというか、現実はそう甘くはないのだ。
少なくとも、その少女は「いたいけ」ではなかったという事だけは今ならばハッキリとわかる。
その音色はテレキャスターというよりはトガり方としてはエクスプローラーだったし(形状が)ピアノもひたすらに不協和音を刻んでいただろう。
本題に入る。
私には同い年の従姉妹がいた。
仲が良く、家が近かったのもあり、学校帰りには私の家でよく64やプレステをしていた。
その従姉妹が今はとんでもなく豹変し、アパレルモンスターと化して地元を荒らしまわっているのはまた別のお話だ。
そんな従姉妹がある日、こんな話をしていた。
「今、女子の間でルーズリーフに書いた小説を交換するのがマジで激アツ」
もうこの時点で黒歴史の扉の開く音、または自らの古傷が開く音が聞こえた方は構わずにバックボタンを押してこのページを閉じて頂きたい。
自分はその当時、ただ白球を追い駆けるだけの純粋なジャガイモだった為、
それを聞いた時は「めっちゃ大人〜。進んでんなぁ」と思った。
俺たちが遊戯王でカオスエンペラードラゴン‐終焉の使者‐をメンコの如く叩きつけてはキレている間に、いつの間にか女子は物書きなどを嗜んで大人の階段を昇ってしまっていたのだと思うと悔しかった。
「それで、これが今日もらった小説なんだけどね」
四つ折りのルーズリーフをバッグから取り出す彼女の横顔は、いつもより少しだけ色っぽく見えた。
「はい」
受け取ったルーズリーフを開き、私はその文字列を読む。
結論から言う。
こいつらは進みすぎていた。大人の階段三段飛ばしだった。
今でこそ、この世界の色々な物に触れ、矮小な身なれども多少の見聞は広めた。大抵の作風に理解も及ぶ。
だが、その時の自分はそうではない。
知識の欠片もない全くの無垢である。開闢の使者強い!
その文章を端的に言って何と括るのかすら知っていたか怪しい。
果たして、Bで始まりLで終わるものだと解っていたのだろうか。もはや遠い彼方の記憶である。
そんな少年にだ、突如として
「その熱い吐息が、サスケの二度目の白濁を誘う」
という文章を叩きつけて何が産まれるというのだろうか。
決まっている。トラウマだ。やけに詩的だし隠喩なのがまた辛い。
結果として、これが未だに現時点で私が人生で最も「衝撃」を受けた「一文」となってしまった。
冷静に分析して今読んでみてもこの一文は普通にまあまあウマいと思えるのが腹立たしい。
なんなら結構好きだ
現に他の文はあまり覚えていないがこのたった一言の地の文だけは一字と違わず覚えているのがどれだけ衝撃が強かったのかという証明である。
この出来事が世界の広さを知るきっかけとなって、今こうして多様な物事に興味を持ち、文章にすることのバックボーンとなっていると思って、この話は美談としたい。させてくれ。
皆さんも時折立ち止まって自分のバックボーンとは何だったかなどと過去と向き合って、そして悶絶していただければこれ幸いである。