おーじの覚書

日々考えては霧散していくような何でもないことを覚え書き程度に。へヴィメタルと格ゲーを愛する社会人一年目

飯を食うだけの作品の話

ここ2、3年。誰の目から見ても明らかに、

「基本、飯を食うだけ」の作品が流行りに流行った。

1個のジャンルとして拡大成長し、この混沌極まるサブカルサバンナにあって見事、己が居場所を得たり、という格好だ。

 

一昔前の多くの料理を扱う作品では作る過程やアイディアのパートに重きが置かれていた。

突拍子もないアイディアや食材を用いて革新的な料理を作る、というのが王道の流れだろう。

しかし、これらの最大の欠点は、ゴールが決まっていることだった。

料理を作ったのだから、最終的には食べる他に道はない。

 

そして作った過程に負けないようなゴールを見せようとすると、どうしても演出が大げさになりがちであった。

冗長な説明が多くなったり、異常なリアクションをとったり、など。

言ってしまえば「大げさな食レポ」である。

良く言えば王道、悪く言えばマンネリ。

 

しかし、これが料理漫画ないし映像作品の醍醐味であり、水戸黄門でいうところの印籠なのだからそこに対してとやかく言うのは無粋だ、という意見もあるだろう。

物語の様式美、というのはわかりやすさの観点から見ても必要なものだとも思う。

 

しかし昨今、実際に台頭し、人気を得た料理を扱った作品の多くはこの様式を打破していた。

 

物語の重きを、料理を「作る」過程ではなく、今までゴールだった「食べる」段階に求めたのだ。

そもそも作るというパートはなく、食べ歩きだったり飲み歩きだったり、

もはや食べることしかしていない作品も多く、実際に人気を博している。

 

こうした「食べる」作品は、「作る」作品と比べて明らかに登場する料理が現実的だ。

手に入らないような食材はほとんど出てこないどころか、コンビニやスーパーで容易に手に入るものだったり、どこの定食屋、居酒屋にいっても置いてあるようなメニューだったり。

これが昨今の「食べる」作品の大きな魅力の一つなのは間違いないだろう。

 

受け手にとって「なんかすごそう」だとか「ありえね~~」に近いものだった感想が

「うわぁ…いいなぁ…俺も明日買って来よう…」へと変わったのだ。

作品中の出来事を現実の体験へとリンクさせることで受け手に漫画、映像作品が本来持っている訴求力以上の満足感を与えている。

 そのため、食べるものが特別でなければないほど魅力的に見えるし、登場人物も特に大げさにリアクションする必要もなく「美味しい」とか「うまい」と言っているだけで成立する。

 

私も

「第36話 鳥貴族のホルモンねぎ盛りポン酢とチーズつくねと金麦(大)」

みたいな作品があったらめちゃくちゃ興味がそそられる。

 料理を扱う作品は極めて受け手に寄り添うジャンルへと変遷していったのだ。

 

そもそも「食べる」という描写、行為。

それは人間の三大欲求の一つであり、人の営みの中において占める割合が巨大だ。

それ故にそのコンテンツが人間の本質、本能に訴える部分も大きいのかもしれない。

 

そして、私個人としては「物を食べる」ということ、物を「食べることができる」ということは、人間が自然に獲得すべき「幸せ」の一つの象徴だと思っている。

 物を食べなければ生き物は死ぬから、という意味だけのことではない。

 

満腹感とはもっとも身近で確かに感じられる「満たされている」状態。いわば「幸せ」の一つなのだ。

それは「友達や家族や恋人と一緒にいる」ことの「満たされている」感覚と同じくらい精神的に大事なことだ。

 

細田守監督のサマーウォーズ、その登場人物の栄おばあちゃんの言葉に

「一番いけないのは、お腹が空いていることと、独りでいることだから。」

というものがある。

これは自分がアニメや漫画、ゲームから貰った言葉の中でも特に大切に思っている言葉だ。

 人間、駄目になるのは、落ち込んでしまうのは、弱気になるのは、いつだってお腹が空いている時と、独りでいる時なのだ。

この言葉を聞いてから、私は、逆説的にお腹いっぱいでいられることと、誰かと一緒にいられること、その2つの幸せに特に意識して感謝するようになった。

 

なので「誰かと一緒にご飯を食べることができる」のはこの上のない幸せなのだと思う。

実際に、この2016年、家族団欒の食卓とは簡単なものではない。得難い幸せだ。

 

ゆえに、今家族と毎日ご飯を食べられる人はそれが幸せなことなんだと心の隅っこに置いておいて欲しい。

もし年末から正月にかけて家族の元に帰るという人がいたら少しでもその時間を大切にして欲しい。

 

きっと私が「食べる」作品で「ただ美味しそうに物を食べる女の子や家族」が大好きなのもこの幸せを根底で意識しているからなのかもしれない。

 

長々と書いてしまったが、最後に。

 

家族計画の準ルートほど、

「食べる」ということ

「家族」ということ

それが「幸せ」ということ

 を描いた作品を私は知らない。

機会があれば、是非プレイして頂きたい、と思っている。

 

そして「食べる」という描写は、それそのものが「幸せ」の描写なんだと、昨今のブームに寄せて

今回の記事の結びとしたい。