『君の名は。』の話
※ネタバレ有
数々の感想や批評ブログが既にある中で、もう今更自分が感想をブログにすることもないかと思ったが、一応自分の中でのこの作品の位置づけを確認する為にも文字に起こすことにした。
あらすじや細かいことは書かずにすっ飛ばして思ったこと、感じたことだけを書く。
私は、創作物と相対した時、その作品が持つファンタジー要素やSF部分はとにかく「楽しく」エンターテインメントとして受け取れれば満足で、それとは別に物語全体が持つ主題、普遍的なテーマこそを汲み取りたい、と思っている。
ジャンプでいうところの「友情」「努力」「勝利」である。
主題という骨の周りに実った肉ももちろん大好きだが、最終的にはその骨からとれる出汁こそを味わいたい。
なので、逆に言えばそれが汲み取れない、汲み取りづらい作品は苦手である。
そういった趣向があるので、まず君の名は。は好きな作品だった。
双方の入れ替わりや時間のズレや彗星落下といった要素、それらに散りばめられた複線の妙、言わずもがなの映像美、BGMとして終わらず、映像と渾然一体となったRADの楽曲。どれもエンターテインメントとして良質なものだった。最高に楽しかった。
その賑やかしに味付けされた中で、私が作品の持つ普遍的な主題として汲み取ったのは「人の縁」そして「誰かと出会うということの奇跡」である。
「人の縁」は作中だとムスビと言い換えられているが、主人公二人の間以外にも作品のターニングポイントでこのムスビがなければ事が進まなかった場面は多い。
ラーメン屋の店主が糸守生まれだったのはまさに最高のムスビだったし、最後に避難訓練ができたのも、結局は親子のムスビがあったからだ。
人と人との繋がりが結ばれて円(縁)となって世界を動かす。世界を変えていく。作品全体を通してそのエネルギーに満ちていたと思う。
そしてそれと関連して「誰かと出会うことの奇跡」
月並みではあるが、これこそがこの作品が持つ最高に普遍的なテーマだと私は思うのだ。
何が言いたいかというと「別に入れ替わりもなく、彗星なんて欠片も落ちてこず、三葉は普通に高校を卒業して上京し、何の伏線も踏まず、東京で就活中の瀧くんと出逢った」として、それを誰が作中の二人の再会と比べて劣ると言えるだろうか。
それも等しく素晴らしい出逢いのはずだ。
それに二人の記憶はほぼ残っていないのだから限りなくこの状況に近い。
田舎の一人の女子高生と東京の一人の男子高校生が出会うことのムスビ。
そこには何の創作も、ファンタジーも介在しない。普遍的な奇跡。
私達の現実で、明日、誰かと出会うことの奇跡と何ら変わりはない。
この作品はその誰にでも起こりうる「奇跡の瞬間」に辿り着くまでの道のりを、現実よりも少し楽しく、美しく、ドラマティックに、可視化したに過ぎないのだ。
きっと細かい疑問を指摘したブログや考察も多いとは思うが、ここではそれはしない。
最も届けたい物の為に切り捨てられたものもあるはずだ。
良い作品に出会えた。
これもまたムスビ。
初めて出逢う人には今までの人生と何ら変わらず、名前を尋ねるところから始めようと思う。